僕がこの場所に移り住んだのはオーストラリアに入国して4ヶ月少ししてからだった。
 それまではジョンというオーストラリア人の友達の家に居候していたのだが、当の友達よりもむしろ両親のほうが非常に良い人達で、あまりにも僕に気を使いすぎてくれたものでかえって僕の方が恐縮してしまい、きちんとした仕事が取れたのを機会に家を出る事にしたのだった。
 もちろん彼らは部屋にも余裕があるのだし、まったく迷惑になど思っていないのだからと言って何度も留まる事を進めてくれたのだが、僕としてはこれ以上そこにいれば何かこの国に来た当初の冒険心がそがれてしまいそうな気になってしまたのと、息子同然に扱ってくれることに対する甘えが怖かった。
 そんな時に以前からガイドブックで知っていたこのホステルにとりあえず移ったのだった。

 僕がいた部屋は玄関を入ってすぐ左側にある6人部屋のドミトリーだった。
 シングルやツインもあるのだが長期で滞在をする連中はそんな散財はしない。ドミトリーだとシングルの三分の一の値段で済むしウィークリー・レートで払えばさらに安くなるので、特にこの先目的でもある連中はこのレベルを選ぶし、旅を安く上げようと思っている連中はなおさらだ。
 ただ、相部屋というからにはプライベートな部分は諦めざるをえない。一部屋に4人も5人も一緒に寝起きするのだからいたしかたのないことだ。それでもある程度長期で滞在する連中が揃えば、スタッフも気を利かせて同じような連中を揃えてくれたりする。だから僕がいた部屋にしてもベットが六つある内の四個は長期滞在者で、いつも人が変わるのは二つだけだった。
 
 あの頃僕と相部屋の住人は早稲田大学を休学して、やはりワーキング・ホリデーで来ていた堀くんとイギリス人2人だった。
 僕達は昼間それぞれが仕事をもっていたから、特に夜の就寝時間などは相手に気を使っていた。こういった部屋では消灯時間はだいたい10時と決まっていて、この時間以降は電気を落として極力物音をたてないようにしていた。週末を除けばこういったことはあたりまえのマナーとなっていたので、生活していてストレスが溜まるようなこともあまりなかったし、ある程度は自分のリズムで生活ができた。
 ただし、たまに旅行者で寝癖の悪いやつが入って来た時や、女の子が同室になった時には寝付けないこともままあった。

 なにせ欧米のこういった宿泊施設では、基本的には男女別々の部屋割りになっているのだが、たまにどちらかの部屋に空きがなかった場合は、本人の了解を得て男女同室になることがある。日本人の女の子が男部屋に泊まるなんてことはまずないが、欧米の女の子はどうも気にならないようで、部屋の中で平気で着替えられたり、夜中に女の子の良い匂いが漂ってくると若い僕達にとってはたまらない刺激になることもあった。
 この宿には1階奥の中庭に面した所に男女共用のシャワー・ルームもあって、シャワー・ルームの仕切りはスリガラスになっているのだが、たまにシャワーを浴びていると隣に女の子が入ってくることがあった。スリガラスも濡れるとよく透けて見えるもので、この時には相手にもこちらが見えるわけで、目のやりばにほとほと困ったが、勿論内心ではこれ以上の至福の時はなかった。
 
 日本人で長期滞在者は他にも慶応大休学中の金ちゃん、沖縄から来ていた玉ちゃんがいて、僕は彼らからみると兄貴分てき存在になっていた。。
 特にこの頃僕と金ちゃんは隣のゲストハウスに泊まっていたアマンダというイギリスの女の子に興味深々で、2人でよく彼女を食事に誘ったりしていた。ブロンズのショート・ヘアーに大きなぱっちりとしたブルーの目がきれいで、ちょっとハスキーな声で話されるとたまらない魅力があった。25歳の僕と大学生の金ちゃんでは僕が年上になるので、少しは気を利かせろと言って2人で騒いでいる内に、彼女が以前居たウェスト・オーストラリアのパースからオージーの男が彼女を追いかけてきて、そのまま一緒に隣のゲストハウスで生活を始められたので、あわよくばと狙っていた僕達2人はすっかり落ち込んでしまった。
 世界中から色んな国の連中が集まってくる所だから、色んな国の連中と色んな関係や思い出がうまれる。それだけでもここでの生活は僕にとって楽しいものになっていた。

 



 
 アール・ストリート側にあるダイニング・キッチンと中庭は、個室を持たない僕達ゲストにとっては手紙を書いたり本を読んだり、はたまた社交の場だったりと、ここに帰って生活する殆どの時間を過ごす場所になっていた。
 12畳位のダイニングと6畳位のキッチンにはロッカーや冷蔵庫が備え付けてあり、勿論ナイフ、ホーク、鍋などの自炊用具は殆どが揃っていた。ここに泊まっているほとんどの連中が利用するのだから、たまに冷蔵庫の中から食べようと思って買って来て入れておいたものがなくなったり、備え付けのナイフ、フォーク類がなくなっていたりはしたが、それでも皆が利用するのにおおきな支障をきたすような問題は、少なくても僕が居た半年近くの間は起こらなかった。
 それよりもむしろこの場所で僕達の気分を害するもの上げるとすれば、中庭で飼われていたここのペットのオウムの方だった。

 僕は奴に与えられた名前がどういうのか最後まで知らなかったが、奴とまったく同じ種のオームが以前住んでいたジョンの家にも居て、皆が「コッキー」という愛称で呼んでいたので、僕はここでも奴のことを「コッキー」と呼んだ。
 シドニーのような都会の中に居る奴はどう見ても飼われているとしか思えないが、ジョンの家に居た「コッキー」に関しては、ぼくには飼われているものか、あるいは勝手に野生から入り込んできて住みついたのか分からなかった。なにせジョンの家は郊外にあり、家の周りはブッシュでいつも外で放し飼いだったからだ。そして、勝手に家に入り込んできては餌を貰ったり、機嫌のいい時は頭を撫でてもらっていたが、少なくても僕には物凄く生意気で扱いにくい生き物に思えてならなかた。

 このオウムの正式名は「キバダン」というらしい。オーストラリア東部に生息するオウムで、真っ白な体に黄色いかんむり羽があり、全長が50センチ前後、餌を器用に手に持って食べたり物まねををしたりするとこは可愛いが、少しでも気に入らないと平気で攻撃を仕掛けて来る。
 黄色いかんむり羽を立てて体を上下に揺すりだすと、僕達はほうら始まったと奴の周りから急いで退散したものだった。勝手に人の足に噛み付いてきたり、逃げ出す僕達を追い掛け回したりと、中庭は自分の縄張り同然に勝手ほうだいだった。機嫌が良い時には猫同然で、人に頭をすりつけたり肩に乗ったりと愛嬌があるのだが、ふてぶてしく中庭を徘徊して僕達ゲストに向かってくる時は、ペットでなかったら張ったおしてやると何度も思ったものだった。



 このダイニングや中庭には、ゲスト以外の人間が外部からもよく遊びに来ていた。殆どの連中は以前ここに宿泊して、今はフラットなどに移り住んでいる連中で顔見知りが多かった。僕達日本人仲間も時間を持て余すとここにやって来る者が何人かいて、篤史や直などは常連だった。
 そんな連中と特に週末などは、僕達はよく集まって食事会を開いた。日本の調味料や簡単な食材は、すぐ裏のアール・ストリートにあった韓国人の経営する店で手に入れることができたし、そのための準備は皆でパディントン・マーケットに朝から買出しに出かけたりしていた。遠く日本を離れて暮らすとどうしても日本食は恋しくなるもので、こうしてどこかに集まってするカレー・パーティーやすきやきパーティーは人気があった。

 あの時はすきやきパーティーをしようと持ちかけてきたのは篤史だった。篤史は僕よりもひとつ年下でよく気が利いてこまめに動く人間だったが、どうも腰が落ち着かないというかそわそわしたとこがあって、僕はその落ち着きのないとこは早く直せといつも彼に言っていた気がする。
 しかし、篤史にしても他の連中にしても僕が仲が良かったのは確かで、僕はよく彼らに日本食を作ってはご馳走していた。特に日本で実家にいた金ちゃんや堀君は、あまり自炊生活に慣れてなかったせいかいつもよろこんで食べてくれていた。
 篤史が僕にこのパーティーの話を持ちかけてきたのも、実はそういった僕のこまめさを知っていたからで、一番話を持ち掛けやすかったからだった。

 ただ、今回のパティーに関しては篤史の話にはおまけが付いていて、日本人の女の子を2人連れて来たいというものだった。
 ひとりは僕達と同じワーキング・ホリデーでオーストラリアに来ている子だけども、もうひとりの方はこちらの会社で働いている子だという話だった。
 男所帯のパーティーに女の子が参加するとなると話は勢いがついてなんの問題も無く進む。僕達は週末の予定を全て変えてまだ見た事も無い乙女2人について篤史から情報を引き出そうといろいろつつき回したが、篤史のほうも心得たものでひとりでニタニタするばかりだった。
 「ショウさん。勿論作る方はおまかせしますね。」「あれ。女の子がやるんじゃないの?」「まさか・・・。」
 どうも一番年長のはずの僕は、うまく彼に乗せられたようだった。



 週末篤史が連れてきたのはナオミという大阪出身の大学休学中の子と、シドニー大学を卒業してそのままシドニーにオフィースを構えるオーストラリアのトレーディング・カンパニーに就職したという有紀という子だった。
 ナオミが篤史の友達で、有紀はナオミのフラット・メイトという紹介を篤史から僕らは受けたが、そんなことは僕にはどうでもいいことだった。この日の総勢7人分の食事を切り盛りするだけでも僕には大変な仕事だったからだ。狭いキッチンは勿論僕だけではなく他のゲストも利用するわけだから、必要な道具を確保するだけでも大変な上に、米だって普通の鍋で炊き上げなければならないという手間があった。ダイニングでビール片手に楽しげにしている篤史を呪いながら、僕はいつもどうりの手つきで仕込みを進めていった。

 「あのう。何かお手伝いすることありませんか。」そう声を掛けられて僕が振り返ると、いつの間にかすぐ側に有紀が来て立っていた。彼女はてきぱきと仕込みを続ける僕が珍しかったのか、じっと僕の手元を見つめていた。
 「いいよ、別に何もしなくても。今日はゲストなんだから、最後の後片付けさえ手伝ってくれれば。それが君らの今日のデゥーティーだな。」
 これが僕と彼女が始めて交わした会話だった。
 「凄いですね。篤史さんが言ってたけどショウさんって本当に何でも出来るんだ。」あまりにも感心された言い方をされたので、僕にはこの先長い大きな目的があること、そのためには何でも自分ですると決めていること。毎日仕事に弁当まで作って持って行っていること。だからこんなことにはずっと昔からやり慣れていることなど、僕は彼女に話して聞かせた。彼女はそれを聞いていちいち頷いていた。

 「ショウさん。何を2人でコソコソ話してるの。」急に大きな声で後ろから声を掛けて篤史が入ってきた。僕と有紀がキッチンで2人でいることが気になったのか、僕を咎める顔はマジだった。有紀はそれを見て驚いた顔をしてそそくさとキッチンから出ていってしまった。
 「ショウさん。彼女魅力的でしょ。頭も良さそうだしね。」「でもだめだよ。変な気起こしちゃ。だって、彼女には婚約者がいてね、その彼氏っていうのが日本の商社の人で、3か月程前に転勤で先に日本に帰ったんだって。彼女ももう少ししたら帰国するようなんだけどね。もったいないよなぁ。良い女なんだけどなぁ。」篤史はそんなことを独り言のように言うと、トマトを一切れ口に放り込んでさっさとキッチンから出て行ってしまった。
 「バカタレ。何考えてんだ、まったく。」有紀のことよりも、僕は感謝の言葉のひとつも掛けていかない篤史の方が腹立たしかった。

 海外で薄くスライスしたスキヤキ用の肉を手に入れるのは、現地の人達がこのタイプの肉を使わないため大変なことだが、今回はノース・シドニーの日系のスパーで手に入れることができた。米も運良くカリフォルニア米を裏の韓国の店で買えたし、人数が多い分少し手間取ったが準備は意外と早く終わった。
 僕はダイニングで楽しくやっている連中に声をかけ、運ぶように促した。連中も後は慣れたもので、共同で購入した卓上コンロをセットし、ここで一番大きなフライパンを持ち出すと準備は完了した。
 僕が彼らのためにする仕事はここまでだった。後はビールを片手に座っていれば、彼らがいつも勝手に進めてくれるので僕の出番はほとんどなかった。僕はキッチンの後片付けだけ確認するとダイニングの方に入っていった。

 すると窓側の席で僕の方を不思議そうにじっと見ている有紀の視線に気づいた。
 確かに日本人の若い男がここまでこまめに台所仕事をこなすのは、長年海外で生活してきた彼女には珍しいことなんだろうな。と一瞬考えたが、あえてそれ以上声を掛けて話す気にもならなかった。
 だけどずっと後になって、ヨーロッパにいる僕に彼女が手紙で書いてきた話しによると、将来この人の奥さんになる人は本当に大変だろうな。ってそうつくづく思いながら眺めていたそうだ。
 勿論この時の僕がそんな風に見られているなんて、思いもよらないことだったのだが。   



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